職人、研究者の真髄
安易に手を出すと火傷しそうだ
そう感じる、自家焙煎珈琲の匠達の対談集だ
本書を手に取ったのは偶然が幾重にも絡まりあってのことであった
たまたま仕事で大分まで行く機会があって
たまたま福岡空港に降り立ち
たまたま時間があったので喫茶店で珈琲を飲もうとネット検索し
たまたまヒットした喫茶店「珈琲美美」。ーびみと読む
そして店内で販売されていたハードカバーにたまたま目が留まり
たまたま読む本も持参していなかったし
たまたま手持ちのお金も多めにあったので
たまたま購入した。(こんなCMあったよな)
たまたまたまたまたまたま。お経のようである
出会いは偶然である
タイミングがズレるとその出会いの形は変容したり
そもそも出会えなかったりもする
偶然入った店の料理が美味しかった
装丁買いした本が、想定外に面白かった←
そのような経験をされた方は少なくないだろう
本題に戻るが
本書は2名の匠が長年、珈琲と向き合ってきた、その歩みを知ることができる
でもその話す内容がもう宮越屋珈琲のフレンチの如く深いのだ
僕自身、自家焙煎珈琲を提供する喫茶店をやりたいという夢があるが
この2名の領域には到達できないだろう
そう感じるほど
研究を重ね、細部までこだわり尽くし、一杯の珈琲を提供している
世の職人というものはこういうものなのだろうか
以下、森光氏の言葉である
あのね、モノとコト、物事と言葉の関係性があるでしょう。
モノを一生懸命見るひとはたくさんいるんだよね、モノを見てその奥を探そうとする。でもコトっていうのも非常に大切なんだよね。
それはモノに対してのコトで、それはふたつでひとつの物事なんだ。
だからカップ一客にしても一生使える本当に大切な存在としての思いが、その人の関わりやその人の人生のなかであるはずなんだ。
むしろそっちの方が見えないけど大切じゃないかっていう気はするのね。
本書や珈琲美美に出会ったのは「たまたま」なのであろうか
「美味しい珈琲を、素敵な喫茶店で飲みたい」
そういう思いを常々持ち歩いていることが
珈琲美美と自分とを引き合わせてくれたのではないか
やはりどんなことも、自分から手を伸ばしたり、アンテナを広げることは重要であるということがわかる
本書に触れることで、多くの読者の『一杯の珈琲』との向き合い方が変わることであろう
九州、福岡、福岡空港などに行く方はぜひ
珈琲美美に足を運んで、匠達が追求した味を堪能してきてみてはいかがか
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