平成初期に出版された本
本作は1992年に出版された
谷川俊太郎の詩と、広瀬弦というイラストレーターのイラストで描かれており
どこか人間味のあるカバが、考えたことやつぶやきを各ページに散りばめている
絵本もしくは詩集である
X(旧Twitter)がこのカバの手元にあれば、喜んで発信していただろうと思う
装丁は、カバが洋式便器の上で「考える人」を連想させる
「考えるカバ」のイラストである
とても愛くるしく?
「ちょっと」図体の大きな?
しかしどこか抱きしめてあげたくなるような(そんなサイズではないが)
人間のように繊細な心の動きや、知能をもったカバであると感じた
ヒポポタムスのつぶやき
以下、愛すべきカバ「ヒポポタムス」君のつぶやきである
ヒポポタムスポエム 1
今日はいい天気だったから、ずっと川で浮かんでいた。
ぼくは一生なんにも考えずに生きていけるのではないかと考えた。
一生なんにも考えず生きていけると確信している
ちゃんと「考えた」ヒポポタムス君である
意識せずとも「考える」ということに特化してしまっているのである
ヒポポタムスポエム 2
一頭のカバともう一頭のカバの区別がつかない奴がいる。そういうのを観念的というのだ
「観念的」とは・・・具体的な事実に基づかず頭の中で考えて現実に即していないさま
「カバ」は所詮「カバ」と言う風に単純に考えてはいけないということか
ちゃんと見分けろ、ちゃんと違いを見抜け
「個性」というものが、どのカバにもあるということをヒポポタムス先輩は言っているのかな
ヒポポタムスポエム 3
友だちが相撲取りになりたいと言う。ぼくは反対した。あまりにも安易な発想だからだ。
これも、2のポエムと共通する感じだ
「個性」があるということではないか
「体が大きいから相撲取りになる」というのは単純な思考で、それは良くないということだろう
僕はよく「高身長の人は学生時代にバレーボールをやっていた」と思うことがある。
たぶんそれも、ヒポポタムス先輩に、安易な発想とお叱りを受けるだろう
詩人「谷川俊太郎」
谷川俊太郎は、今年(令和6年)11月に、92歳で亡くなった。先月のことである
今回初めて知ったことなのだが
世界的な作品「あしながおじさん」や
「PEANUTS」(スヌーピーといった方がわかりやすいと思うが)
それらの本の翻訳をしていた方である
手に取って読んだこともある作品ではあったが訳者のところには目がいってなかった
僕がそれらの本を読んだのは十数年または数十年前のことであるから、本の読み方も全く違う頃であったと思う
イラストレーター「広瀬弦」
広瀬弦は、「100万回生きたねこ」の作家・佐野洋子の長男であるということだ
100万回生きたねこの装丁は、言われたら頭に浮かぶという方は少なくないだろう
少し脱線するが
福井県立図書館が出版した「100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集」という本がある
非常に目をひくタイトルであり、書店の棚に並んでいれば手に取る方は多いだろう
この本は、図書館に来館した一般の方が、探した本が見つからずに窓口に来て、司書に尋ねるのだが
司書は「覚え違い」のタイトル名を言われるのである
言われたタイトルを司書は検索するが、もちろん「覚え違い」のタイトルはヒットしない
見つけるのにも非常に苦労する様は容易に想像できるだろう
ちょっと笑える「迷タイトル」なんかも生まれたりしている
多くのタイトルに触れたことがある読書好きの方は特に楽しめるだろう
また読書量の少ない方でも、クスリと笑えたり、惜しい!と思えるタイトルなどもある
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